Motel Chronicles


■2005年1月8日


ちーちゃんは冬休みだそうです。
子供の頃の休みは長いようで短かったですね。
今はもっと短いですけれど...

年が明けてからゆずのファンの方からメールをいただきました。
ありがとうございます。
15/10000くらいになりました。
気持ち的には1750人/10000人くらいにうれしいです。
(微妙な数ですけれどとってもうれしいのです)
また何処かでお会い出来るよう、私も頑張ります。

お正月は特に仕事もないので、仕事用のソフトを新しく購入したり
その使い方を勉強したりと、結構ゆるい感じです。
元旦から掃除もしていました。
あとは昔出演したテレビとか15年前のコンサート収録された
映像だとかを、ひとつにまとめていました。
結構昔のものを見るのって、イヤなものですね。
他人のものであれば面白がって見ることも出来ますが、自分のものは
たとえ仕事であってもどんなものかなぁ...
正月早々気持ちが何だか暗くなってきました。
少し考えたのですけれど、手紙とか写真、それから私の場合は
こういう仕事関係の記録等、この先いつか見ることがあるのでしょうか。
例えば70過ぎてからこういうものを整理するか、というと
どうもしない気がするのです。
その頃はその頃の忙しさがあって、昔なんか振り返っていられないような...
私の母とかを見ていてもそう思いますし、父は私のビデオ等ばかりを
残して自分のものはほとんど残さず死んでいきましたから。
ではデビュー20周年の時にこれが役に立つか、というと微妙ですね。
20年はいい区切りですけれど、もう少し著名であるとか音楽家として
確立された世界を持っているとかでしたら「お宝」になるのでしょうけれど。
雑誌に載った自分の記事も全部とってあります。(昔の事務所がやってくれた)
雑誌アンアンの記事なんて絶対読ませられないようなことがあります。
あぁなんてイヤなやつだろうと。
そう、何故気持ちが落ち込んだかというと、こういう記録や写真は昔の私を
客観的に全部写っているのです。
自分の頭の中の記憶は結構自分がいいように解釈して記憶されていますけれど、
ビデオ等にはあるがままの私がいるわけで。
コンサート中のトークとか滅茶苦茶幼稚な感じがしますし、言葉遣いも悪い。
もちろん演奏も曲の構成も。
もう十分反省していますから観ている間は「許して」ください、という
気持ちで一杯になってくるのです。

そんなわけで父が残したビデオまではたどり着けませんでした。
あぁでも村松建さんというピアニストと二人でコンサートをしている
NHKの番組があって、それは見ました。
何だか面白かったです。
二人とも若くて、しかも私は今より妙に落ち着いていてアンバランスです。
15年以上前のものです。
彼は今どうしているんでしょうか。
私たちがデビューした頃はニューエイジミュージックと呼ばれていて、
他にも同じようなジャンルわけされていたヴァイオリンの中西俊博さんなどと、
よくコンサートも一緒にやったものです。
今この時代だったらもうちょっと盛り上がったかもしれません。
ちょっと早すぎたのかなぁ...


NHKの料理番組に出演します。
もうすぐ収録です。
まったく緊張感のない緩みきった顔で、どうしようというのでしょうか...
ちょっと心配です。

■2005年1月1日

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

いやいや、大晦日は東京また雪になりました。
まだいろいろなことをやらなければいけないのに、
外に出るのがちょっと大変かもしれません。
せめて食料の買い物だけでも済ませたいのだけれど...

23日のコンサート、たくさんのメールありがとうございます。
しかも未だに毎日のように少しずつメールをいただき、大変うれしく思っています。
いつもですとコンサート終わってから3日くらいでぱったりとなくなるのですけれど...
それだけ良いコンサートだった、のかな...とちょっとうれしくなっています。

さて、今年のホームページは何をしましょうかねぇ。
もう少しバージョンアップしたかったりするのですが、
そろそろサーバー容量も一杯なのでどうしたらいいものか...
写真ギャラリーとCDのラインナップはこの休み中に何とか出来ればなぁ、とは
考えています。
そういえば写真ギャラリーのムービーを見る時、音楽が欲しいという希望が
いくつか来ていたと思うのですが、前触れもなく音楽が流れてくるホームページって
あるじゃないですか。
ちゃんとしたものだったらいいけれど、MIDIファイルで簡単に音を鳴らしているものも。
どうもコンピューターからそういう「音」が聞こえてくるのって嫌いなんですよね...
安っぽいというか何というか。
実際録音された曲を流す場合はジャスラックに2時使用料を払わなくてはならなくて、
それはそれで面倒くさいものなんです。

いつも新年くらいにプレゼント企画をやっていたと思うのですが、今年はありません。
そう、昨年のスタッフグッズは作りませんでした。
というか、作れなかったのです。
ちょっと色気を出して毎年バージョンアップをしてきたのですけれど、
今回私が作りたかったモノの原価がなんと1万円弱!!
それを数十本作ったらどうなるか...考えただけでもおそろしいです。(笑)
もしブランド品などで販売したとしたら、5万円以上になるのでしょうね。
もちろん何千個、何万個と作れば原価は劇的に下がっていきますけれど、
2度と在庫は抱えたくないという反省のもとから、現在ペンディングです。
しかもいつもお願いしている会社は見本品を作ってくれないし...

昨年は韓国モノが流行りましたね。
ここだけの話、私はまったくダメです。
好きな方、ごめんなさい。
でも興味がないものはしょうがないので...
特に日本によく来られた俳優さんの笑顔が素敵、と週刊誌でも何でもすごい騒ぎでしたが...
友人からもいろいろ勧められはしたのですけれど、まったく何も見ていません。
ここまで来るともうひとつも知らずに終わった方がいいのかなぁ、とも思い始めています。
一昨年には私も韓国でデビューという話があったのですが、立ち消えとなってしまいました。
もしうまくいっていれば何かが違っていたことでしょうけれど...


それにしても津波の被害はどんどん状況がわかるにつれてひどくなる一方ですね。
CNNニュースでもずーっと流れています。
日本では流れないような映像もたくさんあって、あまりにもその情報が大きくて
気持ちが落ち込み始めました。
私も何度か行ったことのある場所もあり、もし自分がそこにいたらどうしたろうか
と思いますが、たぶん何も出来なかったでしょう...

私の近所で放火事件があり、またドンキホーテの火災も結構近くでありました。
なんだか世の中とても変な感じがあります。
みんな不安なのでしょうね。
そして更に不安を感じる事件がたくさん起こる。
その繰り返しが大きくならないことを祈ります。

■2004年12月22日


今日はサントラ「東京タワー」の発売日です。

明日はチャペルコンサートです。
東京タワーのCD、会場でも売っています。
サインもしますのでご購入、よろしくお願いします!!

明後日は雑誌ジェントリーの発売日です。
表紙が私です。
表紙が私になって売り上げが落ちたのではシャレになりませんから、
是非買ってください。

先日ゆずのコンサートにゲスト出演しました。
久しぶりの武道館。
昔は音がひどいなどと散々なことを言われていたのに、
最近ではドームとかスタジアムの音が良くないので、逆に良いと
言われるようになりました。
実際、PAシステムの進化で昔より格段に音がいいです。
しかも10000人入る会場としては客席からステージまでが遠く感じられず、
大変よろしいです。
ゆずとは付き合いが長く、今年は村上隆さんのビデオ映像に音楽を書き下ろしました。
それがずーっとツアーに使われていたので、その縁からです。
1万人の前でチェロのソロを弾くというのはなかなか気持ちのいいものです。
でも...
結局お客さんは「ゆず」が見たいんですよね。
当たり前の話ですけれど...しっかりと実感しました。
ゆずのファンの方から2通ほどメールをいただきました。
とっても良かったと。
ありがとうございます。
でも1万人に対して2人ですから、0.02%という事になりますね。
いやいや...

それにしてもゆずのコンサートはすごかった。
お客さんの振り付けとかがいろいろ決まっていて、それが1万人みんながやるのですから...
あぁ、でもいいこともありました。
終演後楽屋で松任谷正隆さんにお会いました。
テレビ番組の仕事ですれ違いはあったり、もっと昔で言うとデビュー前に
スタジオミュージシャンとして仕事をしていた頃、彼のアレンジで演奏を
したことがありました。
ちゃんとご挨拶が出来て良かった。

クリスマスイブには日本テレビ汐留タワーのオープンスペースにて、
アキコグレースさんとデュオでライブをやります。
映画「東京タワー」の一環としてのライブです。
アキコさんは東京タワーの中でも、もちろんサントラでも素敵な演奏を
披露しています。
12月24日
場所:汐留タワー/大屋根広場
時間:一応19時らしいです。もしかしたら19時30分...決定がまだなようです...

■2004年12月15日

ジェットストリーム放送10000回記念海外ロケのお話しを、写真入りに
バージョンアップしました。
長文であまり文字を確かめずに書いていますので、間違いご指摘ください。
今日はホロコーストをなおしました。ありがとうございます。


「沖縄」

ジェットストリーム1万回放送記念で出掛けた海外ロケは2週間で
4ヶ国をまわるものでした。正確にはその前に沖縄ロケも含まれ
ていますので、合計18日間5ヶ国を飛行機に15回も乗って旅行してきました。
友人に海外ロケの事を話すと羨ましいなぁという答えが返ってくるのですが、
現実はそれほど甘くはありません。

でも沖縄はゆっくりした旅でした。
BOOMの宮沢くんと会って話をし、彼の朗読ライブにおじゃまして
一曲彼の朗読とセッションをしたり島唄を弾いたり。
いつも思うのですが沖縄には東京とはまったく違う時間が流れています。
それは空港に降り立った瞬間に感じられるもので、本当にここは同じ
日本なのだろうかと不思議に思います。
宮沢くんとのライブは知念村の海が見渡せる丘、くるくまの森でした。

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風が本当に気持ちよかった。
残った時間は久しぶりに沖縄を少しドライブしました。
ひめゆりの塔は初めて訪れたのですが、今まで訪れた世界各地の
ホロコーストなどと同じようにとても悲惨な現実がありました。
未だに身元がわからない遺骨や遺品が何処かの地面に人知れず眠っているはず、
というのは本当に悲しすぎます。
また、私自身、そういうことを知らなさすぎることにもちょっと反省しました。
館内ではたまたまひめゆり部隊にいた方が語部としていらっしゃって、
偶然にもお話しをすることが出来ました。
彼女から聞く話は涙無しでは聞くこが出来ません。
いろんな写真や遺品を見るよりも、やはり人の声から伝わる話は
すごく重みがあります。
私のチェロには誰かを幸せにしたり、何かを清めるような祈りのような力が
あればいいな、といつもそう願って弾いています。
そしていつかここでチェロを弾いてみたいなぁ、と思ったのでした。

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「インド」

海外ロケの初日はインド。
いきなりのインドは心の準備も出来ていないうちからどうなるのだろう、と
ちょっと珍しく気弱になってしまいましたが、やはり強烈な国でした。
でも未だに好きか嫌いかはわかりません。

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インドの旅は移動に次ぐ移動で、本当のところあまりよくわかっていないのです。
日本からJALにてデリーに到着した後、飛行機を乗り継いでムンバイまで行きました。
デリーで国際線から国内線へ空港の移動があったのですが、今回は2週間という
長旅に加え、気温30度のインドから2度くらいのヨーロッパと夏服冬服
(コート、マフラー、手袋ももちろん)を入れた一番大きいスーツケースに
もうひとつバッグ、それとフライトケースに入ったロケ用のチェロ。
機内持ち込みのカバン。
とてもひとりでは運べない荷物になってしまいました。
もう泣きそうです。
国内線ターミナルまではバス移動でしたが、車中でインド人のシタール奏者との
セッション打ち合わせ。
初めてのインドなのに街もろくに見ることが出来ません。
でもやっぱり牛が道を歩いていたり寝ていたり、変な世界です。
クラクションもうるさいし。
バスの中はハエのような大きな蚊のような(?)飛行物体が多数飛んでいて、
刺されたら死にそうです。
バスのエンジン音も滅茶苦茶うるさくて、シタール奏者の英語もあまり
聞き取れません。
そんなこんなでムンバイのホテルに入ったのは夜11時過ぎでした。
次の日は午前5時くらいにホテルを出発して遺跡があるエローラまで
また飛行機移動です。
飛行場からはバスでエローラのカイラーサナータ寺院遺跡へ。
カイラーサナータ寺院は最初はノミ一本で掘り始めた大きな寺院にかたちを成した
遺跡で、何百年もかけて岩を掘って出来たというこの遺跡は、ただただ圧倒される
のみです。
何かひとつの目的にこれほど一心不乱に作り上げられる人間って、
すごいのかなんなのかちょっと複雑な気持ちでした。
エジプトのピラミッドもそうですけれど、神様に対しての創造物は
とんでもない力が出てくるみたいで、ただただすごいとしかいいようがありません。

でもこの段階で私はちょっとグロッキー。
だって暑いんですもの...
滅茶苦茶暑さに弱い私は3つ目の遺跡の入り口で休憩にさせてもらいました。
いくら過ごしやすい季節のインドとはいえ、炎天下30度以上の所を歩いたり
遺跡の中を歩き回るのは大変です。
入り口で休憩しているとちょっと不思議な事がありました。
中学生くらいの学生たちが修学旅行のようなかたちで遺跡見物に来ていたのですが、
私を見つけるなり写真を撮っていいか?と聞く。
別にいいよ、というとなんと一気に50人くらいの男子学生に囲まれてしまいました。
シャッターを切るのは引率の先生。
何が何だかわからずに、ただ日本人が珍しかったのか嵐のように去って
いきましたけれど、不思議な出来事でした。
近くにいたインド人コーディネーターは笑い転げるばかり。
でもこの状況が2回あったのですよ。

遺跡を見てインドの大地からのインスピレーションを受け、なんとかそれを音楽と
結びつけようとしながら帰路につきます。
飛行機を二つ乗り継いでデリーに戻ったのは、やっぱり深夜になっていました。
噂には聞いていたのですがインドの主食はカレーです。
それも朝昼晩と3回カレーです。
でもお店によっていろいろ味は違うし、中身もベジタブルやお肉、その他
多種多様なカレーばかりで飽きることはありません。
私だって3食ご飯とお味噌汁、それにおかず一品でもまったく大丈夫ですから...
でもさすがに最初に食べたのが機内食のカレー、次も機内食、レストラン、機内食と
私は何処にいるのだろう、とちょっと悲しくなってきます。
食いしん坊の私は、旅の記憶は食べ物だったりしますから...

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翌日シタール奏者のジャガティーブさんとのセッションのために、ニムラナフォートという
1400年代に建てられたという宮殿に出掛けました。
デリーからバス移動で約3時間くらい。
宮殿というとマハラジャが有名ですけれど、ここはもっと質素で今はホテルとして
使われています。
この宮殿までの道のり途中に今までみたこともないような街をいくつも通り過ぎました。
渋滞で30分以上も立ち往生していた街は舗装されていなくて、
お店も4畳半くらいの小さな露店がいくつも肩を寄せ合った状態で建っています。
店の前にタライを出して身体を洗っている人もいるし、その横では牛が寝ています。
近代的な街を形成しながら山奥や砂漠の部族のような、そんな生活形態に
ちかいものがそこにはあってそのミスマッチがとても大きいのです。

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私がロケバスから見続けたその街には外国人はいませんでした。
観光客はもちろん誰ひとり歩いていません。
というか、歩けないかもしれないなぁ、と初めて弱気になるような、そんな風景でした。
インドが好きという人はたくさんいます。
インドにはまってしまって帰れなくなる人もいるくらい。
でもそういう人は何処に行くのでしょう...
たった3日間で見たインドにはそういう場所はありませんでしたから。
まさか立ち往生していた街に魅せられているとは到底思えなかったので。


ニムラナフォートもそんな街にありました。
街とは言えないほどもっと小さな村です。
でももっと素朴で店先にはわけのわからない農機具の先っぽだけを並べて売っていたり、
鍛冶屋は本当にトンテンカンテン金槌を振り下ろしています。

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大きな穴ぼこがたくさんある道をロケバスはゆっくり進んでいき、終いには車一台がやっと
通れる程の坂道を上がり始めます。
車を降りてもこんなところに宮殿がと本気で心配するほどなのですが、
建物の門を入った瞬間、別世界が私を待っていました。
今までのほこりっぽい乾いた土の世界から一転して豊かな緑が生い茂っています。
鳥やリスも鳴いている。
空気もすがすがしくて澄んだ感じなのです。
門一枚隔てただけなのにこれほど世界が変わるのかと、ショックを隠し切れませんでした。
そして自分がとても落ち着いていることも。
緑豊かな日本で生まれ育った私にとって、こういう風景が身体に馴染むのかもしれません。

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シタール奏者のジャガティーブさんはとてもピースフルな人でいつもにこやかです。

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インド音楽にはラーガという決まりがあって、これは音階の一種の決まりなのですが
何億通りあるといわれています。
優秀なミュージシャンはそのうちの百通り以上のラーガを身につけ、それに従った
アドリブを展開していきます。
彼も100以上は自分の中にあるといっており、演奏はしてもらえませんでしたが
聴く人が泣いてしまうラーガがあるとも言っていました。
セッションは彼の曲で女性が化粧をしているところを曲にしたもの、だそうです。
もう一曲はその女性が紙のために踊るところ...そう化粧をしたのは神のためだったわけです。
そういうスタンスの長い物語で曲を書いているので、曲もおのずと長くなるそうで
番組用に5分でとお願いしたら「短いですね〜」と呆れていました。
インド音楽はとにかくラーガであり、愛であると。

セッションは宮殿中庭の芝生に絨毯をひいてその上で行いました。

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鳥もさえずり清々しい空気の中、もう一人タブラ奏者も加わっての演奏でしたが、
私自身初めてといっていいほど演奏しながらその「音楽」に酔うことが出来ました。
それもこれも彼らの懐の深さ、わけのわからない私の音楽を受け入れる
気持ちの優しさからくるものだったのでしょう。
音楽って気持ちいいものなんだなぁ、と当たり前のことをはるばるインドまで来て
実感しました。
来た甲斐があるというものです。

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宮殿からまた3時間をかけてデリーに戻ると、すっかり夜です。
まだ一度も街を歩いていなかったので、スタッフと一緒にデリー駅に
音を収録しに行きました。
初めての外出。
うぁわぁ、人がたくさんいる...
街は妙に薄暗いのですが私たち外国人は全然人混みにとけ込まなくて、妙に浮いた感じです。
なんだろう、この感じ。
この人混みには絶対紛れ込めない何か目に見えないベールのような壁があって、
私を拒絶するのです。
同じアジア人なのに混じり合えない不思議な感覚です。
これは今までいろんな国を旅しましたけれど、初めての感覚なのです。
そして観光をする遺跡以外の所でひとりも観光客には会いませんでした。
本当にみんなは何処にいるのでしょう...

インド最後の夜なので一度くらい美味しいカレーを食べようと、今日もカレーです。
お昼を食べたニムラナフォートホテルのレストランも素晴らしく美味しくて
食べ過ぎてしまったのですが、お腹いっぱいでも食べられるのがカレー。
私を含めスタッフ全員ものすごい勢いでたいらげてしまいました。
ホテルに戻ってからすぐにパッキング。
午前1時前にはホテルを出発して飛行場へ。
午前4時発のドバイ経由の飛行機に搭乗してトルコイスタンブールに向かいます。
ドバイでのトランジットは8時間。
機内は早朝のためほとんどの人が寝ています。
3時間ほどして随分静かだなぁ、と思ったらまだ離陸していませんでした...
本当にトホホです。
霧のために離陸が出来ないようでした。
信じられます?このスケジュール。
インド滞在中にちゃんとホテルのベッドで寝た時間は、数えるほどでした。


「トルコ」

トルコ、イスタンブールに着いたのはやはり夜でした。
食べるものといえば一日中機内食で、ホテルでご飯を食べる元気もありません。
すぐにベッドに入りますけれど明日も午前7時出発です。

カッパドキアはカイセリという街から向かいます。
15年ほど前でしょうか、ロンドンでCDジャケット撮影をした時にカメラマンから
モノクロのカッパドキアの写真をもらいました。
自由に使っていいよ、とはいえCDのイメージと全然違っていてどうしたものだろうかと
悩んだのを覚えています。
でも私の中でカッパドキアとは、その一枚の写真がずーっと心に刻まれていたのでした。

でもまさか自分がそこに行くとは思ってもみませんでした。
カイセリの街から車で一時間ほど走るとカッパドキアに入ります。
トルコにこんな風景があるなんて想像もしていませんでした。
何度も訪れたアメリカの荒野に少し風景が似ています。
何もなくてひとりで丘にたたずむと、自分の存在さえ危ういような厳しさと
寂しさを感じさせる、そんな風景が目の前に広がります。
私はこういう風景がとても好きでアメリカには何度も行きました。
自分ではどうしようもない気持ちに追い込まれるほどの荒れ果て何もない荒野。
私にとってそういう圧倒されるだけの自然の美しさが、心に響いてくるのです。

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今回カッパドキアを訪れてひとつわかったことがありました。
大自然を目の前にしてその広大さに驚くのですが、その大きさを把握する時に
目からの情報ではなく耳で感じているのだということ。
自分でも発見でした。
音が響いてくる距離感、風の吹き抜ける音、その質感、空の広さ、谷の深さ等々
そういうものを耳で聞いて空間の大きさを測っているのだなぁ、と。
私の友人には五感の中で香りをかぐことが何より先に来る、という人もいましたが
今回音の収録でロケに出て私は耳なんだなぁ、ということを確認した次第です。

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カッパドキアの夜に踊りを見にいきました。
宗教的なものなのですが、10年以上前に日本でこれを見ていつか本場で見てみたいと
ずーっと思っていたものです。

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でも観光用の舞台のせいか、私の印象では日本で見たもののほうが数倍良かったです。


トルコではバンドネオン奏者の小松良太くんが旅に参加しました。
彼はカッパドキアを見て、セッションのために用意した曲がイメージが違うと
ホテルで書き直したくらいです。

カッパドキアからイスタンブールへ戻った時点で、私は体調を崩してしまいました。
旅行前にも言われていたのですけれど、インドでお腹を壊すのは生水ではなくて
カレーの香辛料だと。
それも若い人順にお腹を壊していくそうで、私の場合はちょうどトルコあたりでしょうか、
なーんて言われていた通りになってしまいました。
まぁスケジュールからしてもちょっと大変だったので、体調を崩しても
しょうがないかなぁと自分で自分を慰めていましたけれど...
丸一日寝込んで次の日には小松くんとのセッション、無事に終えています。
あぁチェロを弾くと調子良くなるなぁと、セロ弾きのゴーシュの話を思い出しながら
弾いていました。
バンドネオンとのセッションは私の体調がすぐれなかったせいで、
ホテルの中庭となりました。
本当は海峡の近くの公園とかに行くはずだったのですが、でも人がいない分、
集中して演奏が出来ました。

次の目的地、ベネチアに旅立つ日はラマダンの開ける日でした。
一ヶ月近く断食をしていたトルコ人にとってお祭りのような日らしく、
飛行機で隣同士になったトルコ人にも是非この日を楽しんで、と言われたくらいです。
でも私たちは午前4時過ぎにホテルを出発して、空港へ向かいます。


「イタリア」

ベネチアは3度目となりました。
最初に訪れたのは8年前の新年。
新年早々ワルシャワでのレコーディングが入っていて、カプリ島での仕事との
狭間の短いクリスマス休暇でした。
とても寒くて雪が舞っていました。
私が泊まったホテルは運河沿いで部屋も運河側を日本から予約していました。
でも街はとても美しく私はとても端正に作られたおもちゃ箱の中に、迷い込んだ錯覚を
覚えたものです。
そしてこの街を去る時にもう2度とここには来ないだろうなぁ、と思ったことを
思い出しました。
それはあまりにも美しくて悲しかったからです。
美しいものは一度でいいかな、とも。
でも今年4月に世界の車窓からの仕事で来て、今回ベネチア3度目の訪問です。
自分でもびっくりです。

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最初の訪問の時の印象が良かったせいか、4月のベネチアは嫌いでした。
美しい街ですからしょうがないのですが、本当に観光客が多い。
何処を歩いても人人人...
人で疲れ切ってしまう感じです。
そういう私も観光客の一人なのですけれど...
もし寒いのが苦手でなければ、冬のベネチアをお奨めします。
空気はピンと張りつめていて鐘の音は良く聞こえるし、自分の靴音も
狭い道によく響きます。
満潮のタイミングで水が上がってきてしまいますが、サンマルコ広場が
水で覆われているのもそれはそれで美しいものです。

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でも、寒いですよ。
このロケ期間中でたぶん気温は2度くらいだったでしょうか。
それに海風がまた寒くて...

初めてガラス工場を訪れました。
結構こんなところ...とバカにしていたのですけれど、やはりモノを作るところは
面白いです!!!
工場もなんというか、とても居心地がいい素敵なところでした。

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チェロの演奏はホテルの隣にある古い建物のホールでした。
天井には美しい絵もある小さな舞踏会をやるような所です。
有名なへニーチェ劇場よりも古い建物だと言っていました。
とても美しく響く所で、チェロを弾いているうちにどんどん自分がその音によって
変わってくるのがわかります。
美しい響きに弾かされている、といったらいいでしょうか...
ここでの演奏はCDに入れたくなるくらい、いいものでした。

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ゴンドラに乗ってその上でチェロも弾きました。
私は非常に船に弱くて、船でのお仕事は全てお断りしています。(笑)
これは身体的な問題からなのですけれど、無理してのったゴンドラ。
やっぱり数日地面が揺れていました...

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このベネチアでは制作側のミスによりコーディネーターがつきませんでした。
つまり私とマネージャー、ディレクター二人だけがポツンとホテルで
どうしよう...という感じです。
到着した次の日には急遽通訳の方が来て頂きましたけれど、急に頼んだので
全日ついてもらうことも出来ません。
何だか結局一番街を知っている私がリアルト橋へみんなを連れて行ったり、
水上バスの乗り方を教えたり一駅離れてから列車でベネチア入りするのを体験させたり、
とコーディネーターしていました。
それはそれで楽しかったのですけれど、ね。

ベネチア入りは久しぶりのアリタリア航空。
でもやっぱりロストバゲージでした...
しかも私の荷物ひとつだけ。
洗濯物しか入っていなかったのと、夜にはちゃんとホテルに届きましたから
いいんですけれど、ね〜。

ここで私がいつも使うバッグを紹介しましょう。
かれこれ8年くらい使っているリモアというものです。
アルミで出来たドイツ製のスーツケースですが、買った時はこんな高いものをと
随分悩みました。
でもとっくの昔に元は取っていますし、今ではこのボロボロのカバンが
私の一番の宝物となっています。
このカバン、100回以上は飛行機乗っていると思いますよ。
修理したのも(板金してもらうのです)数回ですし、鍵が開かないことも度々です。
既に私の持っている形は生産中止となっていて、現在のはキャスターが4つも付いて
何だか使いやすそうだなぁ、とは思いますけれど、たぶん一生このままこれを
使うのだと思います。
写真はそのうちに。


「フランス」

パリのホテルはホリディインでした。
何もパリに来てアメリカの、それも滅茶苦茶ベタなチェーンホテルは
どうかと思ったのですが、どうも古いホテルを買い取って改修したようでした。
普通のパリの部屋が小さいホテルです。
モンパルナスとサンジェルマンのちょうど中間くらいで、公園にもボンマルシェにも
便利なところでした。
私はいつもマレ地区に泊まります。
最近1万円ちょっとで場所も環境も部屋もいいところを見つけて、定宿にしています。
もちろんルームサービスはないし(朝食サービスはあります、その辺のカフェより美味)
レストランもついていません。クリーニングサービスも微妙なところです。
でもお腹がすいたら近くのカフェに行けばいいのだし、美味しいベトナミアンも
あるから困ったことがありません。
洗濯はコインランドリー、クリーニングもその辺のクリーニング屋さんに出せば
いいのですから。(笑)
それ以前は同じ地区の9000円のホテルでした。
屋根裏部屋っぽい一番上の部屋がお気に入りで、毎年毎年8年くらい通ったでしょうか?
フロントのおばさんとも仲が良かったです。
でもその辺はゲイがたくさん集まるところで、ホテルのお客もそういう人に
占領されつつあってちょっと諦めてしまいました。
いえ別にいいのですけれど...
部屋のベッドメイキングをしてくれる黒人のおばさんもすごくいい人だったり、
朝食は400円くらいですごく美味しかったりと、思い出は
たくさんあるのですけれど、ね。

辻人成くんはボージュ広場の一角にある、超高級ホテルに泊まるそうです。
以前彼とそういう話で盛り上がりました。
マレ地区が好きだというところまでは一緒だったのですが、パリでのホテルの
嗜好が違うなぁ、と。
私はそのホテルの噂は以前から知っているのですが、どうしても泊まれないのです。
何も1万円のホテルでひっそりとする必要はないのですが、パリの街だとそういう方が
何だか楽しいなぁと思えるから不思議です。
ニューヨークで1万円のホテルには泊まりたくありませんから。
ワシントンホテル(チェーンホテルではありません)だったかなぁ、
ワシントンスクエアのすぐそばにあったのですが、部屋にトイレ、電話さえ
付いていませんでしたから...

何度もフランスに来ていますけれど、パリから出たことはありませんでした。
今回初めてゴッホが住んでいたという村を訪れました。
車で2時間くらい、という感じでしょうか。
東京は何処まで走ってもずーっと人家がありますけれど、パリはちょっと走れば
すぐに田舎の景色となります。
農業国ですから見渡す限り畑だったりします。
私はゴッホがパリを見限って移り住んだ村が、でも実はパリからそれほど
遠くなかったというのに少し驚かされました。
でも昔としては充分離れていたうちに入るのかもしれません。
彼が自殺するまで住んでいた所は小さな博物館になっていて、彼の部屋も
見ることが出来ます。
本当に質素な、しかも窓は天井にしかなくて、あのゴッホがこんな所にと、
ちょっとぐっと来てしまいます。
行く機会があったら是非スライドショーを見てください。
弟との手紙で構成されていますが、変人だった(?)割にはとてもまともなことを
考えていて、それよりもっと繊細で気がつく人だったからこそ
あんなふうになってしまったのかなぁ、
とか美術の未来についてとても的確に予想をしていたのだなぁと、
色々なことがわかります。
日本語にも訳されています。

パリでの演奏も特にセッティングされていませんでした。
本当は教会で、という話だったのですがこちらの教会は由緒正しきカソリックですから、
全て何ヶ月前からの文書でのやりとりだそうです。
日本のカソリック教会からのレターも欲しいとなれば、もうこちらはお手上げです。
一度、日の出前にエッフェル塔が見える公園で演奏をしましたが、寒すぎてては動かず
しかも工事関係の人で演奏は中断してしまいます。

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ディレクターも旅のエンディングとなる演奏が録れないと青ざめていましたが、
ここはコーディネーターの方が奔走してくれました。
レターがなければ押しかけてしまえ、
とモンマルトルの丘にある大きな教会の裏にある
サンピエール教会というところに直談判にいったところ、運良く
牧師さんからOKを頂きました。
教会の担当女性の方が音楽好きというのも功を奏したそうで、
私は数曲弾くことが出来ました。

前述のゴッホが住んでいた村にある、ゴッホが好んで描いたという小さな教会という
候補もあったのですが、関係者が誰もおらずに困っていました。
ゲリラ的に演奏してしまおうか、という案も出ましたが教会でそういうことをするのは
私は好きではありません。
しかもその教会はとても雰囲気が暗く重くて、とても演奏をする気には
なれないところだったのです。
内心、関係者が見つからずにほっとしていました。

paris2.jpg

でもこのモンマルトルのサンピエール教会はとても素晴らしい
ところで、中に入っても空気がとても軽やかです。
ステンドグラスの色が床に映ってそれもとても華やかに見えます。
生け花があったとしたらとても綺麗に見えていることでしょう。
ここで弾けたことに感謝したのは言うまでもありません。
いい場所で弾くと私の音楽、チェロまでが変わっていくのが目に見えるようにわかります。
本当は場所や環境に左右されない強い自分が欲しいのですけれど、やはりそれだけでも
ダメなのだなぁと、今回の旅でそう感じました。

パリは何度目になるのかわからないくらいなのですが、
相変わらずフランス語はわからないし
どっちが左岸?右岸?などといっている状態です。
でもそれでも地図を持たずにだいたいの所はメトロで行けるようになりましたし、
マレ地区界隈だったらお茶ならここ、軽い食事ならここ、というように
目星がつけられるくらいにはなっています。
イヤな言い方ですけれど逆に私が銀座に行ったほうがまったくわからないかもしれません。
わかるのは歌舞伎座、アップルストア、伊藤屋、それから中古カメラ屋数軒でしょうか。
資生堂パーラーがわからずに右往左往したばかりですから、食事には困ってしまいます。
しかもカフェがあまりないですし、まったく!という感じです。


いつも仕事で海外に行くと色々な発見があります。
たとえテレビ等の専門外の
仕事でも、本当に感謝していることです。
次はいつになるかわかりませんが、またたくさん旅をしていろんな事を
吸収してこようと企んでいます。
そろそろ日本国内の旅も大きな発見があるかもしれません。

■2004年12月8日

さてさて、久しぶりの更新です。
ちーちゃんは風邪をひいてお休みだそうです。
お大事に。


最近いただいたメールの中からの質問にお答えしようと思います。

◇グローリアチャペルのチケット購入方法を教えてください。
◆what's newを更新しているので、そちらをご覧ください。

◇ビューティフルライフの後半に挿入されているオーボエの
室内楽的な曲のタイトルを教えてください
◆ごめんなさい、こればっかりは何処のことを指しているのかわかりません。


◇プロにチェロの名手は変だよね。と主人が言ってましたが、
アナウンサーが紹介された事を溝口さんはどのように感じられていますか?
チョッと気になります
◆先日のFNSの平井ケン君と共演した時の事ですね。
いやいや、ランスルー(リハーサル)の時にはこんなコメントなかったのですが、
ストリングスの落合君と思わず目を合わせて笑ってしまいました。
たぶん映っていませんでしたけれど...

◇ところで、ハチミツは召し上がりますか?
◆はぁ。ちょっと前まで家の近くに蜂蜜専門店があって、蜂が採集する花の種類に
よってこんなに味や香りが違うものなんだ、というのを知ったことがあります。
今では何の花が好きだったのかは忘れました。
時々食べたくなりますけれど、年に数回でしょうか。

◇フジテレビで放送されていた「鳥になる日」のDVDに発売とかは
考えていらっしゃらないのでしょうか?

◆確かビデオでは出ていました。DVD化されるのかは私にもわかりませんが、
制作会社は「世界の車窓から」と同じテレコムスタッフというところです。

◇溝口さんは写真をお撮りになってますね。あの淡い感じの色合いとか、
ピントの合わせ方が気に入っているのですが、カメラはどんなのを
愛用されているのですか?
また、撮るときにどんなことを考えて被写体を探しておられますか?
◆まずカメラは何でも使います。
撮り始めた頃はライカを使っていましたけれど、最近ではチェロを持っていく
仕事では撮影が無理なので、フルオートのコンパクトカメラです。
あと何といっても私の基本はポラロイドカメラです。

◇神聖な教会での演奏は広い会場とは違うチェロの音を聞くことができます。
溝口さんご自身はどのような会場がお好きなのでしょうか?
◆最近では何処でも弾いています。大嫌いな舟(ゴンドラでしたけれど)にまで
乗ってチェロを弾いているくらいですから...
最近ではベネチアの古い建物(フェニーチェ劇場より古いと言われました)の
ホールがとても良かったです。
パリの教会もいいところでした。


もっとたくさん質問をされていたような気がしますが、取り急ぎ
目にとまったものにこたえさせて頂きました。

■2004年12月1日

今日12月1日のFNS(フジテレビ)に出演します。
平井ケンさんの後ろで弾いています。
お知らせまで。


新札がでましたね。
新しいお札は何だか無条件にいいなぁ、とは思うのですが、
新札によって最近不便を感じているのが、コインパーキング。
ほとんどのパーキングで新札は使えませんと書いてあります。
先日駐車場がない仕事場に行ったので、しょうがないから
有料駐車場に入れるじゃないですか。
(自慢ではありませんが毎日運転していてもゴールド免許なのです。
それは駐禁をしないから?)
財布の中には旧五千円札と後は新一万円札、新千円札しかありませんでしたから
精算が出来なくて出られないのです!!
ちょっとおかしいですよね...使えないお金がいきなり世の中に出回るというのは。
よっぽどストッパーを乗り越えて無銭駐車でもしてしまおうかと考えましたが、
それは違法なのでコンビニで買いたくもないCD-Rを買って、古い千円札で
おつりください、などとレジで言っていました。
誰かどうにかしてくださいな、本当に...

現在は映画「東京タワー」のサントラをマスタリング中です。
12月22日発売「tokyo tower o.s.t」VPCD-81498(バップ)
是非クリスマスプレゼントにどうぞ。
とても素敵なCDとなりました。
映画公開は1月15日と少し先ですけれど、このCDを聴きながら東京タワーを
眺める、もしくは高いところから景色を見るのは格別です。
そういえば昨日は東京タワーに大きな月がかかっていました。

■2004年11月24日

ただいま。
2週間ほど海外ロケに出掛けていました。
TFMのジェットストリームという番組が、今月25日で10000回記念となり
その特番用のロケでした。
私自身、FM番組のために海外に行ったことは今回でまだ2回目です。
それほど珍しいことで、ゆえに結構大変なロケでした。
テレビ番組であれば映像があるわけですから、結構自分が見ているものそのまま
をという感覚でいいのですけれど、音だけの録音となるとそうもいきません。
このロケで人間は目で見るものを優先するのだなぁ、ということを
実感していました。
つまり普段は「音」をあまり意識していないと言うこと...
いったん意識すると普段とは違ったものが聞こえてくるのですが、
そこにはいろいろな雑音があったりと録音となると難しいものです。

どんなロケになったのかは、11月25日22:00からTFMにてお会いしましょう。
インド、トルコ、イタリア、フランスと4ヶ国を2週間で、飛行機15回くらいのって
頑張ってきました。
また、深夜0時からのジェットストリームは生放送です。
私も生演奏で出演します。
ロケの詳しい話は放送が終わってからまた後日に。