Motel Chronicles


■2006年4月14日

朝方シャワーを浴びてそのまま髪も乾かさずに寝てしまったら、
サリーちゃんのパパみたいになりました。
これを想像出来る人は私と年代が近いという事ですね....
そのパパ状態でぼーっとしながら書いています。
さて。
コラムの〆切がなくなってしまったのは、なんとなく寂しいです。
火曜日が締め切り日だったので、悪夢にうなされた時のように
週の最初は未だに何か書かなくちゃ、とちょっとドキドキします。


友人がイギリスに行ってしまいました。
会社を辞めてその日のうちに飛行機に乗って行ったらしいのですが、
なんだか格好いいです。(笑)
私もそのように人生を切り替えられるのなら、いつでもしたいですけれど....
いや、出来るはずなのでしょうけれど、生きて来た時間が長くなると
いろんなものが自分の周りにまとわりついている「錯覚」から離れられず、
自分の行動を狭めてしまっているようにも思えます。
自分の仕事部屋を見渡すだけでも、いらないもの、不必要になったもの、
でもまだ使えるものがたくさん並んでいて、それを整理するだけでも
面倒だなぁと思ってしまう自分もいます。
昔はとっても身軽だったはずなのに、です。
モノはいざとなれば捨てられるからいいですが、思い出は結構厄介ですね。
前へ進むために時々重しになってしまう時もあります。

友人がイギリスに住まいを移しても、e-mailでやりとりをしていると
普段とそれほど変わらないのが不思議です。
私は電話が苦手でチャットもテレビ電話もダメなので、メールです。
日常で頻繁に会う人でなければ、その人が何処に引っ越したとしても
人生上の大きな変化があったとしても、表面上はわからないものです。
ただ海外からの友人の文面からは日本ではない景色が見えてくるので、
それが一番楽しいところですけれど。

二度だけ海外に移り住もうと思ったことがあります。
一度目はパリでのレコーディングが続いた30ちょっと過ぎの頃。
結構本気でしたが、何故か出来なかった。
その何故は未だに思い出せないのですが...自分でその気持ちを封印して
いるのでしょうか...
でもそのころは何処でも良かったのですよ。
ニューヨークやロンドンも考えていました。
だからニューヨークに3ヶ月住んでみたり、ロンドンにもちょっとだけいました。
たくさんの友人が海外に移り住んでいた頃でもありましたから...

二度目は数年前の事で、ロンドンまで仕事のリサーチに行きました。
真剣にまず仕事探しからなのでいろんなものをみて、プロダクションとかにも
行って話を聞いたり、自分の居場所を探しました。
ワーキングビザの取り方まで勉強したのですが、比較的私の職種では
ビザをとりやすいものでした。
もちろん数年という限定と、預金が8桁以上(!!)という変な制限が
つきますけれど。
(あぁ思い出した。大昔、海外旅行をする時に預金証明書が必要な時が
あったような気がする...確かイギリス入国の時じゃなかったかなぁ...)
でも決定的にダメだったのがチェロのパフォーマンスをしてはいけない、
つまりお金をもらっていいのは作曲部分だけでチェロを弾いてはいけない、
というものだったのです。
結局諦めました。
ロンドンという街にもどうしても馴染めなかったのもありますけれどね。

今までいろんなところで人種差別を感じたことはありますが、ロンドンも
結構感じる場面が多いです。
君たちアジアンはこれ以上入ってくるな、という境界線みたいなものを
感じるときがあって、そういうものに慣れていない私にはちょっとつらいですね。
いえ、鈍感になっていればいいのですよ。
そしてそういうギリギリなところに行かなければ、ね。

今まで一番すごかったのは、ニューヨーク州の一番上、カナダとの
国境あたりでした。
車の旅でしか通らないようなところですが、もう20年近く前の事です。
知らないでその街に入ってしまった私がいけないんですけれど、
例えばスーパーとかで見事に口も聞いてもらえません。
宿泊のために探すモーテルは、やんわりと全部断られます。
レストランにも入らせてもらえません。
最初はわからなかったのですよ....
でも冷たいというより完全に無視されているなぁ、と思い始めたら、
その街にアジア人、黒人がまったくいないということに気がつきました。
その小さな街だけだったのですが、ちょっと異様でした。
街を出ればそこは普通のフレンドリーなアメリカなのですが....
南部とか他にもまだまだあります。
無視されるだけならいいですけれど、間違って民族間の争いに巻き込まれる
場合だってあります。
エルサレムでレンタカーを運転してた時には、幹線道路から外れた村には
絶対に入るな、と言われました。
エルサレムナンバーというだけで敵対視されることがある、との忠告でした。
どんな国にもまだまだ残っているのです。
パリだって日本人が入ってはいけないところはあります。
マンハッタンのABCブロックはおしゃれになりつつありますが、その昔は
殺人事件やクラックの売買は当たり前のところでした。
当時のガールフレンドがそこに住んでいましたから、よく知っています....
そこへ夜とかに遊びに行くのが本当に怖かったのですから。(笑)
私たちの日本だって知らないだけで、残っているはずです...


今の自分がここにあるのは何処にも行かなかったから、ですけれど、
時々この2回のうちどちらか行動していたら、どうなっていただろうか
と思う時もあります。


さて。
身軽ではない私のいらないものの数々。
洋服は、妹が結構処分してくれているので(まぁネットで古着販売でも
しているのでしょうけれど)大丈夫なのですが、古いシンセサイザーとか
電子機器関係は、まったく面倒です。
ほとんどは中古楽器屋に処分したり友人にあげたりしていますが、
ヴィンテージといわれるようなものは誰でも欲しいのです。
でも例えばプロ用のカセットデッキを持っていますが、
駆動系のゴムベルトがダメになっていてそのままになっています。
さぁ、これはどうするべきでしょう。(笑)
重さも結構あって持ち運ぶだけでも億劫ですし、年代的に修理を頼んでも
部品があるかどうか微妙なところ。
そんな機材がゴロゴロしています。
そう、直せば使えるけれど、今時もうカセットテープは使わないでしょう、
いらないでしょう、というものばかり。
あと20年も経てば懐かしい〜!!というモノなんでしょうけれど....
コンピューターだって3年前のものはもう仕事にはつかえませんから、
どうしたものでしょう。
やはり思い切って産廃業者を頼んで、捨てるしかないのでしょうか。
もったいない気はするんですけれど、でもネットオークションとかも
面倒くさくてダメです。
貧乏性のせいかそういうものを整理したりする時間があったら、
寝るか遊ぶか、もしくは仕事していたいとも思ってしまうのも確かです。
それでモノは増える一方です。
ある程度、ですけれど、やはり最新のものを使い続けなければいけない
業種でもあるので、難しいんですよね....

それでも最近では考え方を変えています。
すごくイヤな感じですけれど、将来までずーっと使えてヴィンテージに
なるかどうか。
ちゃんと値がつくものなのか。
ちょっと高い車の買い方とも似ていますが....
修理等のメンテナンスもある程度期待の出来る、信頼のおける会社なのか。
これらを満たすためにはある程度値段の高いものになってしまいますが、
結局はそれが正しいのではないかと思い始めています。

今はシンセサイザーがソフト(機械ではなくコンピューターのソフト)に
なってきているので、部屋はだんだん広くなりつつあります。(笑)
でもソフトシンセの悪いところは、やはり音が平坦ということでしょうか。
同じ音が出ていても不思議なものでコンピューター内の処理された音と、
機械から出ている音では微妙に違っていて、特に音を重ねて行った時に
違いが出始めます。
便利をとるか音をとるか、ですか....

それでは衣類とか家具類はどうでしょう。
贅沢品ですよね、これらは。
おしゃれをする事はもちろん楽しいことですが、私の場合、まだまだ
贅沢をしているという古い考えから(親のしつけでしょうか...)離れられません。
ステージ衣装をまず考えて、それから普段着です。
私の家にはこつこつと集めたミッドセンチュリーの家具が少しだけありますけれど、
もし引っ越しをしたら部屋とともに家具も変えなければなりませんし....
でもいいものを時間をかけて少しでも集めていけば、いくらでもリサイクルの
方法はあるのですけれどね。
結局はお金ですか?(笑)
いや、私の趣旨と合わないような....